アイアンマン世界選手権遠征記③ーオタクとおじさんとオタサーの姫、ひとつ屋根の下で
10/8 16:00
アップグレードされたレンタカーに乗る我々、まず目指すはコンドミニアムである。
コンドミニアムの売り文句は「繁華街からたった6マイルなのに田舎の雰囲気!」だ。
とある民泊サイトを通じて予約したのだが、出国前日にふと気になることがあり、オーナーのボブ夫妻に問い合わせた。
佐相「鍵ってどう受け取るの?」
ボブ「ハッハッハ、鍵なんていらないんだよ!もし使いたければ隣のタミーに言ってね」
え、鍵がない・・・
ボブ「明日からアメリカ本土にいくんだ。電波が通じないところで過ごすから、何かあればタミーに言ってね」
ああ、君たちはタミーを置いて遊びに行くのね・・・
アイアンマン直前の1週間は、宿泊施設から生活必需品に至るまで、ハワイ島のあらゆるものが値上げされるという。これを機会に、ハワイ島に住んでいる人は島の外に旅行しにいくという話を聞いたことがある。
グーグルマップに従ってジープを走らせるとどんどん内陸に向かっていく。ハワイは火山島である。噴き出したマグマが海に冷やされて固まり、島となっている。つまり内陸に向かうにつれて標高が上がる。「鍵なぞいらん」「繁華街から10km」「やや内陸」、なるほど、絶妙な組み合わせである。
幹線道路から山道に入って20分、道を一本間違えてエライことにもなった。番犬みたいのに食われそうにもなった。
↑この後犬から逃げることになります。必死で。
最後は15%の激坂を登り、我々はコンドミニアムに到着した。確かに直線距離なら繁華街から6マイルだろうな。ヘリコプターかなんか使えば6マイルで来られますとも。
エース「ちょっと寒いね、ここ」
佐相「寒いっす」
海抜数mの空港と比べると、5度くらい気温が低い。そんくらい山奥。
当初の計画では、セダンタイプの車を借り、運転手以外の二人は自走で宿に到着するはずであったが、ここが宿では誰が運転するかで毎朝揉めることになる。免許未取得のぽんさんは、宿に戻る度に酸欠で倒れることになる。さもなくばハワイまで来て引きこもりに変身することになる。アップグレード万歳。
車の音を聞いて家の中から誰かがこっちによってきた。たぶんボブ夫妻に全てを託されているタミーだ。
タミー「ようこそいらっしゃい。家について説明するわね」
タミー「車はここに停めて。キッチンに置いてある果物は自由に食べていいからね」
タミー「バスルームはここ。そっちの扉はあけないでね」
タミー「ガレージにあるものは自由に使っていいわ。」
タミー「洗濯機はここ。好きに使っていいわ」
タミー「」×10
タミー、ありがとう。でも教えてもらったことの95%は右耳から左耳へ抜けていったよ。
17:00
荷物をおろした我々はスーパーに向かう。ここで我々はアメリカンスタイルにいっぱい喰わされることとなる。
ぽん「わ~スイカ!やっすい!でっかい!買おう!」
巨大なスイカがダンボール箱に無造作に放り込まれている。しかも値札を見ると、79¢の文字。こんなにでかいスイカが100円?
↑写真漁ったらしっかりエースもはしゃいでた
エース「79セント!」
佐相「100円ならいんじゃないすか?」
ぽん「わたし決めました!これがいいですぅ」
中でも特に大きいおばけスイカをチョイスしてご満悦のぽんさん。
色々と買い込んで退店。レシートを見るとそこには
”Watermelon $16”
え、16ドル?
アメリカでは、野菜や果物の類は、量り売りが基本なのだ。つまり”79¢”とは単位あたりの価格であって、決して巨大なスイカ1つあたりの価格ではない。初日から2000円近いおばけスイカを買ってしまったのだ。
初日に仕入れたこのスイカ、帰国の日の昼間まで、我々を見守り続けてくれました。やつは常に我々のデザートであり続けてくれました。ありがとうスイカ。美味しかったぞ。もう二度と買わないけど。
↑スプーンでほじくりながら食す
18:00
帰宅。今晩はチキンのトマトソース煮込みを作ることになった。米炊きは自分の仕事。3人が持ち寄った米を回収し、キッチン下の収納スペースにしまう。
と、不穏な文字が。
「北海道 はくちょう もち」
「もち」??????
誰が持ってきたかはここでは言いません。ヒントは、女子です。
10/9
6:00
♪もう今は彼女はどこにもいない 朝早く目覚ましがなっても~♪
朝からなんかうるさいな。起床して朝スイムへ向かう。
6:30
スイム会場で試泳。まだ月曜だというのに、相当の数の人がいる。
200mほど沖にでると、やや大きめのボートが浮いているはず。そこでは熱いコーヒーが配られていて、朝の一杯にもってこいだ。探しているのだが、見当たらない。
エース「疲れたね」
ぽん「あがりましょっか」
佐相「うぃっす」
それを見計らったように現れるコーヒー船。全員にダメージ30。
↑Athlete Xの使い方を解説するエースを撮影する佐相おじさんをぽんさんが撮りました
9:00
一旦宿に戻って朝食を済ませた後、3人のバイクを積んでQueen Kへ。漆黒の溶岩。青空。海。その中をまっすぐに走る道路。自分の中で、ハワイってこういうところだ。しかし、1つ難敵が。
ぽん「DHバーがもてません!泣泣」
エース「推進力を絶やさない!」
風が強い。コナウィンドというやつだ。
地形柄、恒常的に風が吹いているのだが、年による強弱は存在する。少なくとも2年前よりは強い
30kmだけ試走、車を回収して宿に戻る。昼食を摂って、15時からはエキスポに向かうのだ。
17:00
目が覚めた。今、西川のマットレス「AiRポータブル」の上で寝っ転がっている。東京の自宅に危うく強制送還されそうなところを無理やり連れてきたあいつだ。昼飯を食べ終わり、30分だけ休憩しようとして横になったところまでは記憶があるのだが・・・。恐る恐るリビングの扉を開ける。
佐相「おはようございまーす・・・」
ぽん「zzz」
エース「(ポチポチ)」
ぽんさんは爆睡、エースは何かに取り憑かれたようにSNSへの投稿を執筆。よかった、置いていかれてなかった。
2日目が終了。我々は重要な教訓を得た。「予定を詰め込みすぎないこと」
こうして、毎日の夕食の後には3人でその日を振り返り、教訓を得て、次の日の予定をたてるようになりました。
つづく
アイアンマン世界選手権遠征記②ー持たざる者の試練と持てる者の落とし穴
10/8 12:00過ぎ
現地に到着。入国審査の長い列に並ぶ。どうやら審査機械の調子が悪いらしく、ただでさえ長い列はなかなか進まない。ようやく入国を許可されて荷物を受け取ると、エースとぽんさんもやや疲れた様子で待機していた。この「持てる者たち」に、佐相おじさんはここでも違いを見せつけられることとなる。
エース「おれソフバンだからアメリカ放題だ、よっしゃ!」
ぽんさん「えー、わたしもですぅ」
佐相「あれ、SIMがアクティベートできない・・・」
僕はもともとSIMフリーの端末を使っているので、現地で利用可能なプリペイドSIMを購入していた。Amazonで173円で購入、なんとAmazonポイントが120ポイントもついてくる。なんだこれ。
しかしSIMを挿入して端末を再起動、設定を操作しても通信ができない。これは困った。まああとでやろう。ひとまずエースのiPhoneが電波を捕まえている。
これからレンタカーを借りる予定なのだが、ここで昨晩から気になっていたことを2人に打ち明けることになる。
佐相「これからレンタカー借りに行くんですよ。で、あのへんにいろんな会社のシャトルバスが来てますよね」
エース、ぽん「うん」
コナ空港の周辺には複数のレンタカー会社がある。8月あたりにレンタカー検索サイトを通じて、ある会社と契約し、既にお金を払ってあるのだが、その受付メールを見つけることができなかったのだ。当然、どこの会社と契約しているかが分からず、会社が分からなければレンタカーを借りることはできない。
佐相「受付確認のメールが見つからなくて、どの会社から借りたのか、分からないんです・・・」
エース、ぽん「へぇ」
あれ?反応薄くね?少なくとも自分はこの人たちの10倍くらい焦っている。
佐相「空港にレンタカーの総合受付みたいのないですかね・・・ひとまず向こう行ってみましょう」
巨大な荷物を転がしながら移動する3人。しかし総合受付などあるわけもなく、各社のシャトルバスが通り過ぎて行くのを見ているだけだった。
こうなってしまえば仕方ない、できれば避けたかった作戦を打つことになる。
佐相「じゃあふたりともしばらくここで座っててください。片っ端からシャトルバスの運転手に聞いてきますから」
エース「俺らも行こうか?」
ありがたい提案なのだが、重複チェックしてしまう可能性があるのと、荷物を誰かが見張る必要があるから、これは一人でやったほうが手早い。誰か一人がやるとなったら、メールを受信しているはずの自分がやるのがスジだろう。
佐相「大丈夫っす。荷物お願いします」
なんでシャトルバスの運転手に片っ端から聞くのが嫌だったかというと、英語を喋るのが久しぶりなのにいきなり情報量が多い会話をしなくちゃいけないし、10近くあるレンタカーのシャトルバスの運ちゃんに「おれの名前ない?」って聞くのが億劫だったからだ。しかしこうなってしまえばやるしかない。
佐相「(ノック)。ちょっと困ってるから助けて欲しいんだ。ネットでレンタカー借りる手続きをして、支払も済んでいるんだど、どこから借りたか忘れちゃって。調べてくれない?」
運ちゃん1「Sasoか、ないねえ」
最初で当たるなんて思ってないぜ。ハワイ滞在10日分の運をここで使い果たすわけにはいかないのだ。
佐相「同上」
運ちゃん2「あーちょっとまって聞いてみるから・・・うちじゃないな」
やっぱそうだよね。耳が遠いのにありがとうおじちゃん。
佐相「同上」
運ちゃん3「リストにないな」
まあそうですよね。わかってましたって。
佐相「同上」
運ちゃん4「これか?」
佐相「それ!」
お、やった!dollarレンタカーという会社だった。シャトルバスに乗り込んでる満員のお客さんたちお待たせしてごめんなさい。
佐相「エース!ぽんさん!あった!」
エース、ぽん「おー、やったな!」
エースとぽんさんが3人分の荷物を持ってきてくれる。ぽんさんがカートを返しに行く間に、男2人で荷物を積み込み終えた。するとバスの扉がしまってしまう。
佐相「友達がまだカート返しいってるからちょっと待ってよ」
運ちゃん4「大丈夫、次すぐ来るから」
バス「プシュー」
ということでおいていかれるぽんさん。あ、こっちに気づいたな。明らかに焦ってる。ごめんぽんさん。でも運ちゃん4が待ってくれなかったんだ。扉がしまってしまったバスを追いかけるぽんさんを見てエースと佐相は苦笑い。昨日が初対面じゃなければ爆笑なんだけど。
↑荷物を積むと滝のような汗。 心なしかヒゲも伸び、自分でも年を取ったような感じがします。
このあと無事にレンタカー屋で落ち合い、レンタカーを借りることに成功。アップグレードを勧められ「いくら?」と聞いたら勝手に手続きが進み、日本に帰ってきて請求額に頭を抱えることになりますが、些細なことです。なぜなら世界の鎌田はこういったからです「#金で解決すればいいんですよ」
つづく
2017年アイアンマン世界選手権遠征記①ー「持てる者と持たざる者」
自分にとって海外遠征とは孤独な珍道中だ。2年前にコナに初めて参加した時は、レースをしに行ったはずなのに、世界のおばちゃんたちに救われる旅となった。今回のコナを獲得した時の台湾遠征は、いつのまにやら孤独な(言葉が通じないから・・・)グルメの旅になった。
ところが今回は賑やかな珍道中であった。なんと遂に海外遠征をともにする仲間ができたのである。
エース栗原:Lifeblood鍼灸マッサージ院サポート選手。デュアスロン現日本チャンピオン。トライアスロン・デュアスロンといえばこの人。4月のアイアンマン70.3Linzouで権利獲得。お米は柔らかめが好き。
一本松静:Lifeblood鍼灸マッサージ院サポートサポート選手。本年度宮古島女子3位。同じく4月のアイアンマン70.3Linzouで権利獲得。無限リピート。お米は硬めが好き。
3人とも飯田橋のLifeblood鍼灸マッサージ院のサポート選手ではあるが、日頃の絡みはほぼ皆無。入れ替わりで治療していただく時に「うぃ~っす!」ってなるくらい。初顔合わせは渡航前日の壮行会であった。
10/7 18:00
八丁堀の「一汁三菜イタリア~の」にてエース主催の壮行会。オーナーでシェフの秩父力さんはアスリートフードマイスターの資格をお持ちで、身体にも口にも嬉しい食事をいただいた。ごちそうさまでした。
ひとまずこの時点でお互いに顔と名前と声色と年齢が一致。最年少の僕は、以後「佐相おじさん」と呼ばれ続けることになる。
10/8 20:30
羽田空港にいち早く到着。自転車は特別手荷物として1.5万円で受託。さらに預け荷物2つを預けようとすると・・・
ハワイアンGS「自転車を一つ目の荷物としてカウントしますので、お客様がお預けいただける荷物は1つです。追加の荷物に関しては1.5万円の追加料金が発生します」
・・・え?まじ?
片道1.5万円で往復したら新しいマットレスが買えてしまうじゃないか。宅急便で自宅に送り返すか。ひとまずここは撤収して作戦を考える。
OBの須田さんにお借りしたバイクケースを開いて格闘すること30分、1Lの汗と引き換えにハワイでの睡眠を勝ち取る。西川のマットレスで寝られるのは大きい。
胸を張ってチェックイン、その次はバイクの検査へ。通常のX線検査機を通過することができないサイズなので、乗客立会いのもと、検査員の目視による検査が行われる。検査員によるのだが、大抵は局所的なチェックで検査が終わるものだ。
しかしいざ検査場に行くとやや不穏な空気が。正確には、検査官2人の空気が、どこか重たげである。
検査官1「荷物を開封させていただきますね」
検査官2「」
佐相「はいどうぞ」
次々とバラバラになっていく我がバイクケースの中身。
・・・え?まじ?
検査官1「これはなんですか?」
検査官2「」
佐相「プロテインです」
検査官1「これはなんですか?」
検査官2「」
佐相「洗剤です」
検査官1「(クンクン)確かにいい匂いがしますね」
そりゃあそうだ。末端価格数百円の洗濯洗剤だもの。
ということで前日に芸術的なバランスでパッキングしたバイクケースは、なんと羽田空港で木っ端微塵にされてしまった。何たることや。
しかしこんな目に合うのは自分に限った話ではないだろう。後から来るエースやぽんさん(一本松さん)も、1Lくらいの汗をかきながら30分かけて受託荷物を1つ減らし、検査場で荷物を隅々までバラバラにされるのだ。俺はその目撃者になるのだ。
なんて思いながらタラタラと数時間ぶりの荷造りをしていると、遂に二人が自転車の検査にやってきた。
佐相「荷物って自転車も一個にカウントされるんですね」
エース「え?自転車は別カウントだったよ」
ぽんさん「私荷物少ないから」
・・・でもここで君たちの荷物は粉々に粉砕されるのだ。覚悟したまえ。
検査官1「X線装置に通しますね。CO2ボンベは入っていませんか?」
エース、ぽんさん「はい、大丈夫です」
X線装置を通過していく二人の荷物。
検査官2「異常ありません」
・・・ありがとうございました!!!!
ということで日本を出国、ハワイアン航空852便に足を踏み入れた3人でした。
つづく
「おれら、おじさんだね・・・」ー2017年夏合宿
毎年恒例のチーム夏合宿、気づけば同期が自分を除いて3人、完全におじさんポジションである。ある界隈では「さそうおじさん」と陰ながら呼ばれているらしいがこのままだと来年あたりチームでもこの呼び名が広がってしまう恐れがある。
今年のメニューはほとんどがトライアスロンであった。距離とコース、ドラフティングの可否のバリエーションがあるものの、基本的にはスイム→バイク→ランのセットでのメニューだった。
自分よりスイムが速い選手がチームに5人いるのだが、一番速い選手とは100mで10秒以上の差がついてしまう。ここまでの差があると一口に「トライアスロン」と言っても全く別のスポーツになってしまう。このスポーツはサバイバルゲームで、スイムを先頭集団で上がり、バイクで脱落しなかった者が、ランで勝者を決める。スイムで100mあたり10秒も差があると、陸に上がる頃には蚊帳の外に追いやられてしまう。
とは言っても前を追うことになるのは競泳外出身者の宿命のようなものなので、Max800W+のHR186/191なんていう超高強度なバイクパートになる。
https://connect.garmin.com/modern/activity/1919626646
こうやって必死なときこそ動きの精度が出ると思っている。ペダリングダイナミクスでパワーゾーンを見てみると、上死点直後から力が入りだし、下死点以降で力が抜けているととがわかる。もっと早く力を抜かないといけないんだな。ピークのかかり方はいいと思う。ローラーで改善するのが模範解答なんだろうが、実走と感覚がかなり違うように感じるのでペダリングの修正は難しい作業だ。
最初のセットのランは1.2km。前が見えているから全力で追うのだけど、1ヶ月以上ぶりの高強度に身体がびっくりしてしまったようで、脚が攣ってしまった。ゴールした後は鈍い頭痛が走る。どうやら酸欠のようだ。
この合宿に参加するにあたって心配だったことは、高強度の練習に身体が対応できず、メニューがこなせない可能性があることだった。7月半ばのレースの疲れを引きずってしまい、合宿の2日前の時点では25kmを5分程度のペースで走るのがやっとだった。それも直前の3日間を完全休養に充ててのことだった。
しかし結果的には杞憂に終わった。最初の一本の直後は頭痛が出たけど、本数を重ねるに連れて身体が動きやすくなっていくような感じがあった。まるで身体が「順応」しているかのようで面白い現象だった。
1日目と3日目の同じコース・距離のランを比較すると、上下動が小さくなって、接地時間が短くなり、より高い心拍数を維持できるようになっている。ストライドが大幅に短くなっているが、これは外れ値に引っ張られてものであろう。ケイデンスも1分あたり180歩を超えていて、非常にテンポよく脚が前に出ているようだ。ランの時に何を意識して走ればいいのか、未だによくわからないが、メトロノーム機能でこのテンポを再現してみよう。
https://connect.garmin.com/modern/activity/1919625073
https://connect.garmin.com/modern/activity/1926835499
2日目の午後のみ座学・室内トレーニングを行った。Lifeblood鍼灸マッサージ院の谷本卓也先生、宮城康司先生、中央医療健康大学校の仲川浩史先生にスタッフとして帯同していただき、補給やトレーニングに関するレクチャーと、実際に筋力トレーニングを行っていただいた。雨の中合宿所の一室で40名以上の集団が奇声を上げる光景はまさに異様の一言だった。先生方が作成した資料の中にはエース栗原さんのメッセージも含まれていたのだが、1年生を中心に半数近くの選手は初見だったことをここに記しておこう。またトレーニング後には選手の身体のケアを行っていただき、1日に延べ20名以上を診ていただいた。中にはバイクで落車する選手も出る中、専門知識を持った先生方に帯同していただくと安心の一言である。
きつかった3日間が終わると最終日を前にバーベキュー、焼きマシュマロが美味しかったとさ。あと飯の盛り方には注意します。
例年にもまして今年の夏合宿は激しかった。昨年は3日目あたりで力尽きてしまっていたけど、今年は最後までメニューをこなすことができた。一方でシーズン中の疲労の蓄積からか身体が動いていない選手もいて、今年身体がちゃんと動いているといっても競技力辞退が向上しているとは判断できないとも思う。チームのメンバーはインカレ、自分はアイアンマンハワイという大きいレースを控えての合宿だったので、ありきたりではあるが怪我や事故がなくて本当によかった。
「いのちをだいじに」→「ガンガンいこうぜ」→「すてみのかくご」(new!!)
トラブルが発覚してまず最初に心配したことは、再び走ることができるか否かであった。仮にフレームなどの換えの効かないにパーツに異常があった場合、レースに復帰することは不可能だ。交換可能なパーツのみの故障であっても、交換パーツが用意されているとは限らず、復帰できるか非常に不安な心持ちだった。しかし日本で一番長い歴史を誇る大会だけあって、しっかりスペアホイールが用意されていた。メカニックの方々にチェーンを交換してもらい、ハンガーの曲がりも直してもらって、再スタートが可能になった。トライアスロンとは本来自力での完走を目指すものであって、本来ならこの時点でリタイアを選択せざるを得なかったのだろう。レース復帰させてくれたメカニックの方々や地元ボランティアの方々には頭が上がらない。
ただこの時点で先頭とは1.5時間以上の開きがあり、順位を求めることはもはや不可能である。純粋に順位だけを求めてレースをするのであれば、ここでアンクルバンドを返すのだろう。だがどうしてもフィニッシュラインを切りたいので、走ることをやめる選択肢はなかった。
走るとなったらテーマを設定する必要がある。一回レースを完走すると、その後2週間はトレーニングを中断することになる。レース前も3週間ほどトレーニングの量を落としているので、合計5週間のトレーニングを犠牲にしている。それだけのコストを払っているので、レースから何らかのリターンを得る必要がある。
そこで、タイムロスを埋めるべく前を追う状況を想定する。例えば、また順位を求めているレースで機材トラブルに見舞われることもあるだろう。タイミング悪くペナルティを取られてしまい、テントで10分間待機しなくてはいけなくなるかもしれない。スイムの遅れを取り戻さなくてはいけない状況もあるだろう。リスクを取って、前を追わなくてはいけない状況なんてこの先いくらでもある。「がんがんいこうぜ」を超えて「すてみのかくご」である。
復帰したあとのワット数のデータを見てみると、10kmごとのNPがその後100kmまで230Wを超えていているし、Garmin Connectのセグメント機能で、ある特定区間のラップのみを比較しても、順位はなかなか良好だ。
しかし120km過ぎたあたりから脚が売りきれている感じがしたので、やはりNP230Wではオーバーペースなのだろう。15kmおきにPowerGelで補給し、90分おきにTopSpeedを注入していたので、エネルギー不足ではないだろう。200Wだとラクすぎる感じもしたから結局70%FTPの210W 付近なのかなという気もする。春先とは身体面でのコンディションが大きく異なる気がするので、もう一回FTP計測し直さなきゃダメだ。
皆生バイク
ダウンヒルでの落車に注意しながらバイクを無事終えてランへ。足袋のような形をしているリアラインソックスを履き、クラウドサーファーに足を入れる。長い距離を走るならこの組み合わせが一番良いと感じる。3分半/kmを切るような走り方をするのでなければ、42kmを走るときにはこのシューズが一番足に合う。皆生のランコースは市街地を抜けて境港まで約21km、行って帰ってくるだけのシンプルなコースだ。アップダウンらしきものは殆どないが、唯一国道沿いの歩道は緩くて長い傾斜がある。交通規制をしていないので、幹線道路を渡る際には陸橋を使う地点もあるし、細い道路を横断する際にも信号で止まらなくてはならない。こういった交通上の要注意箇所では複数のボランティアの方が誘導してくれるし、2kmおきのエイドにも20人近いスタッフが配置されている。私設エイドも多い。沿道の日陰でベンチに座って観戦しているお年寄りもいるし、タープの中から声援を送ってくれる大集団もある。走り甲斐のある大会だ。
開始数キロは3分おきくらいに信号に捕まる。「捕まる」とは言ったもののこれは「休憩」だと思っている。42kmぶっ続けで走るよりも、1kmに10~20歩程度歩いた方が合計タイムは縮まると思っている。エイドでも足を休め、身体を冷やしたり水分、PowerGelを補給する。この大会で深刻な脱水状態に陥るようなことがあると、夏を棒に振る可能性もある。これだけは避けたいものだ。
順位を追うレースではなくなっているので、トレーニングの成果を確認する場になる。合言葉はここでも「すてみのかくご」だ。走っているときのペースは4分30秒を切る程度、宮古島のときに比べればかなり快適だし速くなっている。まだまだ「速い」とは言い難いペースだけど、確実に改善している。
20km過ぎのエイドでは「待ってたよ!」と声をかけてくれる人がいたり、母の友人の姪が車から名前を叫びつつ手を振ってくれたり、走り続ける選択をしてよかったなと思う。同時に、これが順位を争っているポジションだったらどれだけ幸せだったかとも思った。
しかし折り返してしばらくすると、徐々に苦しくなってくる。それでも5分/km付近で粘りながら進み続けるが、30km付近で右足に痛みが出てしまい、序盤のツケを払うことになる。そこからは大幅にペースダウンし、なんとかゴール。中盤までの走りを振り返ると3ヶ月前よりも遥かに走れるようになっているけど、足への負担が大きすぎる。その結果30kmで少し痛んでしまったと思っている。もっと力を抜いて走れるようにならないといけない。
宮古島のデータと比較すると、まずストライドが10cm程度伸びているのが確認できる。骨盤の可動域が広がって、より全身を使って走れていることが示されていると解釈している。実際、潰れてしまうまでの走行距離は明らかに延びていた背骨の柔軟性を改善するトレーニングが功を奏したのだろう。見てびっくりだったのは心拍数で、宮古島の方が10bpmくらい高い。どんだけきつかったんだ。ランニングの左右差も改善されていて、宮古島では48-52くらいだったのが、皆生ではほぼ50-50になっている。値の差は小さいけど、サンプル数が多いので誤差ではないだろう。ただ上下動はまだまだ大きくて、Garminさんの言葉を日本語に訳すと「走り方がなってない!」。
皆生ラン
今までの大会ではトラブルらしきトラブルに巡り合ったことがなかったので、そういう意味で非常にいい経験だった。また気持ちをすぐ切り替え、別の目標を設定できて、その中でトレーニングの成果を確認できたのもよかった。ただ回収するタイムを具体的に設定するべきだった。レース中はどこかでセーブしないと、大幅にペースダウンして、ツライ思いをすることになる。この3ヶ月はバイクに乗る時間を大幅に削ってスイムとランに取り組んできたので、このバランスをもとに戻してもいいかもしれない。
なにはともあれ回復が最優先事項で、レースから10日以上経ってこの点はクリアしたようだ。期末試験も終わったので、ぼちぼちトレーニングに復帰します!
一年ぶりの皆生。
7/16「全日本トライアスロン皆生大会」
合計10時間50分54秒(総合167位)
スイム3.0km/44分08秒(8位)
バイク140km/5時間49分12秒(456位)
ラン42.2km/4時間17分34秒(112位)
昨年に引き続き全日本皆生大会に参加した。また表彰台に乗りたくて臨んだ大会だったが、バイク28kmでのメカトラにより順位を求めるレースではなくなった。レースにトラブルはつきもので、もしこのメカトラがなくても別のアクシデントに見舞われたり、脱水などのトラブルに遭遇していたかもしれないと思うようにしている。メカトラからの復帰をはじめ、様々な人の手助けのおかげでなんとか完走でき、またトレーニングの成果も確認できたので、トラブルから復帰して炎天下の中で長時間レースをするという選択は悪くなかった。
暇な学生の特権を行使して飛行機で木曜入り。もっともこの大会は土曜入り→月曜祝日帰りができ、スケジュール面での負荷が小さい。社会人になってからも出られるロングの大会の筆頭だろう。
木曜日は持ち物の確認や、近くのスーパーでの買い出しをする。大会本部は駅から徒歩3分、ビジネスホテルや量販店、飲食店も充実していて、離島での大会に比べてレース前の時間を過ごしやすい。金曜日は朝から少しだけバイクに乗り、地元のテレビ局の方と話をして、夕方には生放送に出させてもらった。その際に紹介してもらった大連という中華屋はトライアスリートが集まることで有名だそうで、良心的な価格設定とボリューム、そして優しい味が特徴だ。駅前には居酒屋が多いけど、レース前に食事をするところに困っていた。結局、金曜夜、土曜昼、土曜夜と、3食も通うことになる。
土曜日は登録と開会式、出場するチームメイトはここで合流する。今回は招待選手ということで最前列に座ったのだが、なぜかやつらはその後ろの「招待選手家族席」に座ってニヤニヤしていた。終始ニヤニヤだった。
周りを見渡すとやはりそうそうたるメンバー。昨年3位の谷選手を除き、2位の嶋選手を始め表彰台勢が勢揃い。優勝の最有力候補は過去2回優勝の吉村選手だろう。また一般参加選手でもラン3時間を切る選手が複数いるということで、レベルの高いレースになることは間違いない。
当日は4時起きでレース会場へ。会場まであと1kmというところでチームメイトがパンク、会場到着後に修理中にチューブを破裂させてしまい大爆音が響く。会場が一瞬騒然とする。自分ともう1人のチームメイトは腹を抱えて笑う。身を挺して緊張をほぐしてくれるとはなかなかやるもんだ。
この1週間は特に睡眠を多くとるように気をつけてきて、安静心拍数は40を切る日が続いていた。しかしレース当日は45ということで、やや倦怠感もある。前日夜の食事が少し多かったか。レース前の体調管理には細心の注意を払うもので、特に今回からは西川AiRのポータブルマットレスを持ってきている。自宅で使用している据え置きタイプと遜色ない眠り心地で、これはいいと思った。
スタートの40分くらい前に入水しウォーミングアップ。水温が高くロングジョンの選手も多く見られるが、Hi-RIDGEのオーダーメイドツーピースフルスーツで挑んだ。スイムにかかる時間は45分程度であり、適切にケアをしていれば熱がこもって脱水する心配もない。どうしても暑ければ、集団に対する位置を見て折り返し上陸地点で一回水を流し込んでもいい。フルスーツの方が浮力面でのメリットが大きいし、肩まわりの可動域は十分に確保されている。背泳ぎをしてみると、身体の前面で非常にスムーズに肩が回ることに気がつける。
海水でのレースということもあって立ち泳ぎはそこまで苦にならない。独特の緊張感の中、スタートホーンがなって先頭から2列目でスタートする。前にいるのは吉村選手なので、間違いなく自分の前のスペースが空くポジションだ。スタートから200mの第1ブイを回るころには大分集団が小さくなり、海岸線と平行に泳ぐ区間に入ると5人程度の集団になる。1,2番目をラクなペースで泳ぎ、落ちてくる人を拾っていく。進路が120度転換し、浜が近づいてくるころに河原選手を確認、まずまずのペースである。折り返し地点では20分台と想定通りのペースで後半戦へ。2000m手前で後ろから追い抜かれ、余力があったのでこの選手についていく。一緒にスイムアップすることはできなかったが、もともといた集団とは30秒ほどの差をつけることができた。Hi-RIDGEウェットスーツを脱ぎ、薄い靴下を履きながらTopSpeedとPowerGelを補給する。トランジットで1名を回収しバイクに飛び乗る。
タイム面では昨年度の皆生大会とほぼ同じだが、ロスが少なかったように感じている。昨年はバイク序盤で気分が悪く、レース続行ができるか大いに不安だった。宮古島大会のデータと比較すると、ペースをややあげることができた(1’32”/100m→1’30”/100m)上に、平均心拍数を3%程度下がっている(183bpm→178bpm)。バイクとランを後ろに控えながらも、レース展開を左右する役割を担っているのがスイムパートであり、「力を使わずに」「速く」泳げる状態に近づいていることは大きな前進である。
バイク後半70kmは長い上りと下りを繰り返す。それに比して前半70kmは「平坦」と表現されることもあるが、実際にはこちらもかなり骨の入ったコースだ。
今回の方針を一言で表現するなら「がんがんいこうぜ」である。今までは常に「いのちをだいじに」だった。しかし3ヶ月後のハワイでそんなことを言っていたら順位を争うようなポジションでのレースはできない。なので、今回、特に後半70kmではある程度のリスクを負ってでも、しっかりと前を追っていく。例えば下りではトップチューブに座るタイプのDHポジションをとるし、上りで少し高い出力が出ても維持していく。
とは言いつつもバイク開始直後から飛ばしていくのは無謀なので、PowerGelの梅味とレモンライム味で補給しつつ、実際の出力と感覚をすり合わせることに努める。推定FTPは300W弱なので、前半区間の目安は200Wある。同じ出力でもスピードが出るポジションを確認しながら進んでいく。
およそ28km地点、ここで前の河原選手が近づいてきた。バイク乗車直後に追い抜かれてしまい、およそ20秒程度差が広がっていたが、このままなら回収できそうだ。そして下りが上りに切り替わったその時だった。出力を上げた瞬間、明らかに異常な音がして、ペダルからの反動にも変化が出る。ホイールの回転ごとにカラカラと音がするし、チェーンからも異音がする。後輪を見ると、ディレイラーがあらぬ方向を向いている。迷わず停車、チェーンが離脱し、ハンガーも歪んでいる。後に判明するスポーク折れと併せて、自力での修復・レースへの復帰が到底困難と判断し、オフィシャルメカニックの方の到着を待つことにする。停車するや否やボランティアスタッフの方が駆けつけてくれ、本部に電話連絡を入れてくれる。休憩可能なポイントまでに徒歩で移動すると、近隣住民で応援してくれている方々がぞろぞろと集まって来てくれる。30年近く大会観戦してくれているおばあちゃん、旦那さんが皆生出身で、出産に併せて義理の実家に戻っている臨月の妊婦さん、農作業の傍らで沿道にかけつけてくれる農家さん、地元の方が協力してくれていることをひしひしと感じる。知り合いが出ているという人もいたが、イベント自体を受け入れてくれ、自分たちも楽しみながら、盛り上げてくれていると感じた。こんな機会なんでーと1.5時間の待ち時間中に集合写真も撮った。
この地域にトライアスロンが根付いていることを実感できた時間であったが、同時に大会が地域の機能に支障をきたしていることを再確認した。その上でもイベントを受け入れてもらえるよう、選手には選手なりの努力が必要だと思う。
例えば交通規制をすれば渋滞が発生するし、規制区間で商売を営んでいるような人にとってこんな迷惑な話はないだろう。地元の警察、消防に協力を要請するのであれば地元の安全維持や救命機能を犠牲にすることになる。
そういう状況で選手ができる地域への貢献として真っ先に挙げられるのは、その地域でお金を使うことだろう。レース後に温泉に浸かり、美味しいものを食べてから帰るのはせめてもの地域への還元である。土産物を買い込んで、その地域のPRに貢献するもよし、レースとは別の機会に観光で訪れるのもよしだ。
メカニックの方が駆けつけてくれ、遂にレース復帰可能な状態になる。この時点で既に1時間半を失っており、順位争いをするのは絶望的である。この先どうするのか、選択に迫られていた。
つづく
背中の動きを補正してもらったらプルが10秒速くなった話
トレーニングの中には使えていない部位を使えるようにするタイプのものとパフォーマンスを上げるものの2種類があるらしい。「-→+」と「+→++」ってイメージだろうか。
例えばこの数ヶ月取り組んでいるスクワットを中心としたメニューは後者。宮古島後も自主トレーニングの一貫として継続していて、例えば使うギアが変わったりという成果が出ていて、5%以上の登坂でもアウターチェーンリングを無理なく使えるようになっている。後からデータを振り返るとき、サイクリスト頻出地域で乗っていると「セグメント」機能が役に立つ。任意のユーザーが設定したある区間を通過した時、かかったタイムや標準出力を自動的に集計して他のユーザーと比較してくれる。乗っているときに表示するかどうかは選択可能なので、気が散るのなら設定を変更すればいい。
https://connect.garmin.com/modern/activity/1739831500
・・・みんな速い!
とまあこんな感じの午前中を過ごし、午後は飯田橋のLifeblood鍼灸マッサージ院で治療とトレーニング。
治療院で最近組んでもらっているメニューは「-→+」のタイプで、特に背中の動きを補正することに重点が置かれている。例えば運動療法やリアラインコアを使った可動域の拡張だ。小さい頃から猫背がちだったり長座体前屈の姿勢では脛あたりで手が止まってしまったり宮古島では谷本先生がびっくりするくらい背中が使えていなかったり、色々問題を抱えていたらしい。
このトレーニングをやってびっくりしたのは、プルが100mあたり10秒も速くなったこと。もともと大の苦手で100m1分40秒とかだったのだが、背中の可動域を改善するだけで1分30秒で回れるようになった。びっくり。びっっくり。今までの努力は何だったんだろう。先生にめっちゃ笑われました。
トレーニングの後は問題を抱えている箇所を重点的に治療していただき、鍼を打っていただいて西川のAiRの上で爆睡・・・。整えてから動くこと、動いた直後に整えてもらうのは最高に贅沢なトレーニングだと思う。一番いい状態で身体を動かせるし、問題があった場所に即座に手を加えてもらえるということだから。
湿度が低いまま気温が上がってくるこの時期、何事もはかどりますね。ずっとこんな気候でいてくれると助かるんだけども。笑
読んでくれてありがとうございました!